ヒット商品を支えた知的財産権 Vol.28
「プラヒート」
1972年にわが国で初めて札幌で冬季オリンピックが開催された時、その聖火台へ続く絨毯には雪が積もらず、鮮明な赤地の中央に白線がくっきりと浮かんだ様子を記憶されている人もおられることだろう。 その会場の天皇・皇后ご臨席のロイヤル・ボックスの絨毯は温かく快適だった。当時のIOC会長のブランデージ氏は「私が出席した冬季五輪のなかで、もっとも快適なロイヤル・ボックス」と称賛した。この絨毯の下には、埼玉県のミサト(株)が開発してまもないプラスチック製帯状ヒーター(商品名:プラヒート)が敷かれていたのである。 このプラヒートは、ミサト(株)の清川社長の学生時代からの仲間の会話から生まれたものである。1961年、呑兵衛ばかり集まった碁会で、「いつでも一定の温度で酒の燗ができる装置はないかねえ」という仲間のつぶやきからヒントを得た。 翌年、清川は仲間三人で会社を設立した。化学系出身である清川は金属の扱いは不得手だったのでプラスチックに着目し、これにカーボン粉末などを加えて導電性にできないかと検討した。友人達のわずかな出資金を使用して実験したが、狙った特性のものが得られず、資金は2年で底をついた。その時のことである。清川は最後の手段として友人の父の工場にあった材料を無断借用して実験したところ、幸運にもヒーターに使用できる特性を持つサンプルを得ることができた。 |
早速、友人達は製品化を提案したが、頑固な清川は更に8年も慎重に実験を繰り返した。その間に試作した大量のサンプルで工場の中は廃品の山となったが、これがオイルショックの時に全て売れて開発資金は勿論、工場建設資金となった。人生は何が幸いするか分からないものである。
そして1971年のことである。通電すると温度が均一に上昇すると共に電気抵抗が増加して電流を自動的に抑制する特性を持つ導電性プラスチックの帯状発熱体を完成した。この発熱体を絶縁皮膜などと組合せて、プラヒートとして売り出したのである。
プラヒートは後に科学技術長官賞を得ており、床暖房装置、窓際暖房装置、養豚・養鶏装置、鮭等の養殖装置など多くの用途に適用され、その間に約300件の特許出願をして技術を保護している。清川の頭の中は何時も遠赤外線の利用で一杯だ。低温使用のプラヒートに飽きたらず、セラミックスを利用した高温のヒーターを開発し、病院や老人ホームでも使用できるサウナ装置を開発し、更に米籾、野菜、果物などの乾燥機や、焼鳥器などの調理装置へと発展している。
(取材協力 ミサト株式会社)