2001年3月
日本弁理士会
香川県Y町において約20年間に渡り非弁理士活動を行い、当会からの告発で逮捕、起訴されていた○○被告は、昨年10月の一審判決の量刑を不服として控訴
していたが、このほど高松高裁において控訴審判決があり、一審判決を破棄して懲役2年2月の実刑判決が言い渡された。○○被告は、上告期日までに上告しな
かったため刑が確定した。
○○は、平成12年10月30日の高松地裁一審判決で、「被害額が比較的高額で、常習的であり、弁理士会から警告を受けたにもかかわらずこれを無視して業
務を続けた」として、初犯による情状酌量を求めた○○の申立を退け、懲役2年6月(検察求刑4年)の実刑判決を受けていた。この判決の量刑を不服とした○○
は、同年11月に控訴し、以後自発的に被害者に対して賠償を行うなどして、情状酌量による執行猶予付き判決を求めていた。
平成13年3月22日に二審の高松高裁(島敏男裁判長)で控訴審判決の言い渡しがあり、「犯行は常習的で被害総額も多額に上るが、深く反省している」と して、一審判決を破棄し、新たに懲役2年2月の実刑判決を言い渡した。自発的被害者賠償を酌量して多少の減刑はあったものの、結果的に実刑を免れることは なかった。
この判決に対して○○は、上告期日までに上告せず、刑が確定したため受刑者として直ちに収監され、刑に服することとなった。
この判決により、20年の長きにわたる非弁理士事件に終止符が打たれ、当会の活動としては一応の決着を見るに至った。
しかし、○○にとっては、これからが新たな人生の出発となる。自分の犯した罪を償い、社会人として更生できるのか否か。○○は、摘発前までは地元の名士として幅広い活躍をしていたが、摘発によってその地位も名声も失い、果ては被害者賠償により財産さえも失った。懲役が終わって出所してもそれは法律上の刑を満了したに過ぎず、出所後も重い十字架を背負ったまま生きていかなければならない。非弁理士活動の代償は本人にとっても、家族にとってもあまりにも大きかったといえよう。